「さあ、千秋。楽しい音楽の時間でーす!」
「音楽じゃねえ。それに千秋でもねー。オータムマガジンでも千秋じゃねー」
「おっと。そうそう質問だったね」
「それを頼むよ」
「君は、泥棒という言葉を使ったけれど、彼らは自分のことを泥棒ではなく新しい文化の担い手として胸を張っているようだ。この矛盾について聞きたい」
「なるほど。ある態度が反社会的であるとき、それには2つの理由が想定できる。態度が間違っている場合と社会が間違っている場合だ」
「つまり、態度が間違っているなら泥棒。社会が間違っている場合は新しい文化の担い手だということだね」
「まずそのように論旨を立てるとまるで議論可能に思えるだろ?」
「えっ?」
「つまりだね、これは典型的な詐欺的な論述トリックの一種だ」
「トリック?」
「あるモデルが正しいと主張する場合、それは既存のモデルよりも上手く機能する必要がある。このような議論は、既存のモデルよりも上手く機能する場合にのみ成立する」
「同程度ではダメなのかい?」
「ルールを変えるにはコストが掛かるが、同程度ならそのためのコストを正当化できない」
「なるほど」
「それに、変えなくて良ければ物事を変えたくないのが人間であり、社会というものだ。特に、ある程度以上上手く適応している場合はね」
「定年まで年功序列という前提で借金したら、年功序列は変えたくないものね」
「そうだ。成果主義に移行して途中で昇給が止まったり首を切られたら焦りまくりだ」
「やはり変えたくないわけね」
「ある程度、未来を見据えた活動をしていればね。予想がひっくり返されるのは嫌な筈だ」
「もっと具体的に説明してくれよ」
「だから、テレビから録画してネットで自由にアニメを流通させるモデルは明らかに上手く機能しないので支持もされていない。その代わりにシステムとして支持されたのが劇場というわけだろうね」
「それで?」
「というところで、あとの原稿は没だ」
「えー。結構いい話が書いてあったじゃん」
「辛辣な、ね」
「それが好きだって言う人もいるそうだぜ」
「でもさ。泥棒相手にトリックを詳しく解説する奴がどこにいる?」
「トリックを改良するチャンスを与えるだけかもね」
「あとさあ、突然気付いたんだけど」
「なんだい?」
「ネットで愚痴るっていうのは、本当に許されることなんだろうか?」
「へ?」
「ネット上の文章を読む人は、愚痴を読むために来ているわけじゃない。愚痴りたいのは書いている人の方なんだ」
「それはそうだけど」
「もともと、愚痴なんていうのは酒の席でこぼすものだった」
「うん」
「それはいい。酒の席とはそういうものであり、愚痴を聞く役目の人もいる」
「そうだね」
「でも。飲ミニケーションは嫌だと言って酒の席に出ず、家に帰ったパソコンに愚痴を書き込んで全世界に公開していいものだろうか?」
「うーん」
「愚痴を聞く役目の人が愚痴を聞かされるのはある意味で仕方がない。でも、愚痴のせいで検索エンジンに余計な候補が出たり、余計な文章を読まされることが本当に良いことなのだろうか? もしかして、愚痴のTPOが狂っているのではないだろうか?」
「それで結論は?」
「無い。きっぱり言って無い」
「それじゃ読んでる人も困るぞ」
「たとえばさ。ある機械を買って、ある操作が使いにくかったという話はそれなりに意味がある。購入候補として考えている人には、判断の材料になる」
「どこまで本当かは分からないけどね」
「その辺を割り引けるのが、本物のネットの使いこなしだろう」
「それで?」
「でも、ただの愚痴だったらどうだ?」
「うーん、あまり参考にならないね」
「というわけで、こっちも少し反省だ」
「なるほど。それでネットで叱るのも自粛する?」
「ははは。とんでもない。ボールを家に入れて盆栽を壊した子供はやはり叱られる運命さ」
「どうして?」
「だって、隣の空き地で子供が五月蠅いのは、ただの愚痴だと思う人もいるけど、ボールが入り込まれた側が入れた側に怒るのは当たり前だもの」